ぷっぷコラム

ねふ日記帳

follow us in feedly

自己肯定感。

 

大人になってから自己肯定感を高めるには

http://tigtig8.hatenablog.com/entry/2014/04/02/182519

 

 

 

これ読んだです(U・ω・)
今回はクソ長自分語りなので、注意ですぞ。
 
 私も自己肯定感というのが低くて、努力して何やっても「まだまだ自分は頑張ってない。結果が出せていない」という気持ちがよく湧いて、それでも誰にも「努力が思ったほど評価されない」ので落ち込む。という悪いループをよくやってます。
 専業主婦になって自分で勝手に思うのが、お金を稼いでいないのにダラダラしててはいかん。家の為に自分が出来る事を常にやらないと。という事なのですが、実際は自分は結婚する前に家事なんかは全然やっていなかったので、家事自体はあんまり得意じゃなくてうまく出来てないのかなあ、というのが正直な所です。(それでも実家に居たときの100倍はこなしてるのですけども…)ただ、そういう事は旦那せんせいに言われたように「(仕事で言えば)できてて当たり前のこと」なので、あえて褒められるような点ではないので、やりがいをあんまり感じないというか、やってもやってもきりがないし、何もしてない自分が居るとなんだか落ち着かなかったり後々になって「今日はちゃんと出来なかったな」と、後悔する事がよくあるです。。。要は、終わりの無い作業の中の気の抜きどころが分からないのですな(U-ω-)
 
自分には昔からそういう傾向があって、仕事でも他のなんでも、やり出したら休憩が出来ないところがありました。逆に言うと、仕事でも「今日中に終わらせないと行けないから、悪いけど出来るまでのこってやってくれないか」と言われると、他の人が適当に見切りをつけて休んだり切り上げるのに対して、私は休憩無しでずっとやってるようなタイプなのでした。他の人が先に帰ってもズルいなーなどとは特に思わなくて、今こそ普段十分に仕事が出来ていない自分が役に立つチャンスだとか、期待されてるなら答えなきゃなー。などと思ってたので、やりとげて感謝されれば、むしろ達成感もあったので同じ課の中では残業時間が多い方だったように思います。職歴も大体が広告業に居たので、私たちより後の作業になる部門の人は、連日朝方まで仕事をしていたり、寝袋でそのまま仮眠をしてるひとも居るようなところだったけど、9時ぐらいまで仕事してるのはよくあったし、残業の多い仕事では0時帰宅が続いてた時期もあったのでした。その頃は、家に寝に帰って起きてすぐまた出勤というのが続いてたので、今の家庭がある状況でそれをやったら逆に怒られそうな感じですな…またその生活をやれって言われたらやれる気はするのだけど。
 
 そんなこんなで、体調不良というよりは肩こりや背中のこり?が猛烈に悪化して今も残ってるのですけど、話を戻す。
 話を戻すと、期待されて感謝される事にいつもやりがいを感じてたけれど、それ以外の時はほとんど自分に自信が持てなかったし失敗すると本当に毎回落ち込みようがひどかったのでした。自分は仕事に向いてない。人に期待されてない。結局長い目で見れば自分がいても会社としては却って邪魔じゃないのかなとか。文章に書くとネガティブな考えに陥ってたんだなと気づく部分もあるのだけれど、考えている時は自然に自分の中に入り込んでいっぱいになってくるものなのであまり疑問も感じず、それが事実だという起点からしか物事が見れなくなってしまっているので悪循環の始まりだったと気づくのでした。
 更に掘り下げると、そういったいわゆる「自己肯定感が低い」考え方のベースはやっぱり自分の親に否定され続けたのが原因だったように思います。子供の頃から自分に対する親の要求は「まあまあかな。でももっと上を」というものが殆どで、「よくやった」という終わりが無くて、逆に「なんでもうちょっと出来なかったの?」だったり、自分であれをやってみたいと言い出せば「お前にできるわけがない」という頭ごなしの否定ばかりが記憶に残っているのですな(U3ω3)
 
 そんな事もあって、親に猛烈に反発している時期があったのですが、先ほどの上のブログを見ててはっと目についたのが旅行のことだったのでした。
 
 自分で一人で思い立ってふらりと出かける旅。今でも突然家を出てふらりと一人でどこか遠くに行きたい衝動があるときがあるのですけど(おいおい)、私の場合自分にとっての大きい成功体験の最初が「一人で全部決めて親には黙って干渉されずに東京に出かけ、親しい人に会いに行く事」だったのを思い出したです(U・ω・)
 その時まで一人で県外に行った事がないどころか、車でもあまり遠くまで行くのは自信がなかったしショッピングに県内の都心部と大学にいくぐらいがせいぜいだったのと、親が当然県外にふらりと行くのも反対するような家庭だったので、これはもう初めての時は一大決心だったし、東京の知り合いの人はその人で色々交通手段を調べて教えてくれたりで、自分でも誰かが助けてくれるんだという安心感と、自分で何かをしようと思えば出来るんだという自信が出来て、結局親もなんとかうまくやり過ごせたので「その気になれば結構できるし、思ってたよりも大したことじゃなかったんだな」という大きな一歩になったのを実感したのです。広告関係の世界に入ったのも、描いていたイラストをネットで人に見せたりするようになったのも、今思えばそういった事がきっかけになったんだよなあと思うのでした。結婚する直前までもやっぱり凹みやすいのはずっと直らなかったけど、必ずまた「このままじゃいけない。何かやらなくちゃな」と思い始めるのは、やっぱりうまくいった経験があったからだと振り返って感じています。
 
 成功体験を積み重ねると自信がつくというのは確かに本当で、煮詰まってくる時は結局「自分の中でうまくいかなかった」事が積み重なってきたときみたいです。一つ一つは小さくても、いくつか重なってくるとダメになる。思い通りにいかないと、その要因に関わってる人を責めてしまう。それ以上に自分を責める。ダメダメのループ。そうして耐えられなくなって、ワッとどこかに飛び出したくなるけど、独身の時はともかく今それが通る筈も無く…(U;3ω3)とりわけ仕事は明確にお金という形で自分に還ってくるので自分の努力が形になって戻ってくるけれど、家のことは「片付いてる!今日のご飯おいしい!」とでも言われないと努力の成果は見えてこない。特にごはんは、とりあえず努力したら「美味しいね!」ってものじゃないのをひしひしと感じている毎日だったりするし…
 
 (U・ω・)今の生活はあまりそういう成功体験を得るのが難しくて、努力すれば認められるという生活でも無くなってしまったので以前より簡単に自己嫌悪に陥りやすくなってしまったのでした。旦那せんせいは家のこと手抜きしても何にも言わないタイプなんですけど、張り切ってやってもそうんなに何にも言わないタイプなので、褒められると無限にやる気が湧くタイプの私とそういう点ではかみ合ってないかもです。
 どちらかといえば、家の事でワタワタするよりは逆に「むしろ好きな事いっぱいやって家の中を楽しくしてよ!」という人なので、あれこれ面白い事を仕掛けると喜んでくれる人なのですが、私の中で遊びは「プータラ遊ばせて頂いているだけではちょっと…」という考えから抜け出せなくて、はっちゃけてるのを期待されてるのに実際会ったら大したことない人。みたいなうまく立ち回れない自分にゲンナリしてしまうのでした。おかしいですな、独身貧乏時代も「お金よりも自分が満足して過ごせるかが大事だよな」と思ってたのに、いざそれを求められると、「私のしてる事はお金にならないから…遊びだし、程々にしといて苦手だけど家の事がんばらなくちゃ」となってる。そうして逆に思った通りになっていないと「こっちも努力してるんだからちゃんとして!」となって、でも働いてきて疲れてるだろうから今言うのもとなって、どんどんギスギスしてしまう。
 
 考え方を変えなければ、きっとこれからもうまくやっていくのは難しいのだろうな(U・ω・)
こういう事考えるとどうにかしなきゃって話ばかりになるけど、今は旦那せんせいは私の今までの人生で一番親身に接してくれてるので、(普段分かりにくいけど)もしかしたら私ももうちょっとづついい方に変われるかなという気持ちもあるから、強靭な余裕のある心と、気持ちをもっとうまく表現出来るようになりたいと思っているのでした。
 
 
(U・ω・U)話は飛ぶけど、今年は試資格験勉強してます。
始めるの遅すぎで、受かる気全然しないですけどナ!!!
www.flickr.com
_naef_'s items Go to _naef_'s photostream